昨夜のお天気に反して、晴れ渡っているので、久しぶりにお寺巡りに行くことに。西武池袋線沿線の武蔵野三十三観音霊場です。
お天気は良いのですが、空気が冷たく、風が強いので、手が悴んで寒いです。道の端には、うっすらと雪が残っていました。昨夜、降った雪ですかね。
まず最初は、仏子駅で下車して歩き、第20番札所の龍円寺にお参りしました。奥多摩新四国八十八ヵ所霊場第41番札所でもあります。

開山開基は、1201~4年のころだそうです。御本堂に安置されている御本尊は、虚空蔵菩薩様です。
1649年には、徳川家光より御墨付きの朱印状(寺領15石)を与えられた古文書が残っているようですよ。
鐘楼には、1716~34年ころに製作された梵鐘があったようですが、戦争で失い、昭和23年に新しくされたそうです。

こちらが観音堂でしょうか。千手観音は、行基菩薩の作といわれ、安産子育ての観音様として、多くの参拝者が訪れるようです。

こちらは、弘法大師堂でしょうか。まだ、新しいですかね。

御朱印を頂きました。散華も頂こうとしたのですが、ありませんのとのこと。

こちらには、奥多摩新四国八十八か所の御朱印帳の復刻版があるとのことだったのですが、尋ねると、ありませんとのこと。
壁に貼ってあったポスターのガイドブックが欲しいと言っても、ありませんとのこと。期待も大きかっただけに、落胆も大きく、ありませんの3連発に心も折れそうになりました。
続いて、龍円寺から歩約5分にある第19番札所の東光寺にお参りしました。こちらは、奥多摩新四国八十八ヵ所霊場第46番札所でもあります。
1519年の中興開山と伝えられ、1702年に現在地に移転したそうです。東金子小学校が開校されるまでは、小学校としても使用されていたようです。
本堂は、1751年に再建され、御本尊の不動明王が安置されているようです。

本堂前に置かれている梵鐘は、1674年に、小谷田村領主の五味豊旨家臣が、前主君をしのんで奉納したもののようです。

現在の梵鐘は、1988年に造られたもののようですね。

こちらは、薬師堂。別院の薬王寺の薬師如来が祀られているようです。聖観音もこちらに安置されているようです。

樹齢300年といわれる多羅葉の木です。初冬には、赤い実がなるようです。葉っぱの裏に、とがったもので字を書けるそうで、これが葉書の語源だそうです。

こちらが弘法大師堂でしょうか。といっても、お堂ではないようですが。

御朱印と散華を頂きました。

続いて、東光寺から歩いて、第21番札所の高正寺にお参りしました。奥多摩新四国八十八ヵ所霊場第69番札所でもあります。
1213~18年に建立されたようです。昔は、武士という地名だったようですが、4人の行者が4体の観音像を安置して住み着いたころから、仏子と言われるようになったようです。
山門をくぐり、石段を登ると鐘楼門。

こちらが本堂。御本尊は、虚空蔵菩薩で、本尊厨子の前に、聖観音立像が祀られているようです。

本堂左には、板碑が保存されていました。2基が市指定文化財に指定されていて、1246年とか、1250年と記録されているそうです。ちなみに、日本最古が1227年だそうです。

納経所の前には、すでにトレーに入った御朱印が置いてありました。

続いて、高正寺から歩いて、第22番札所の円照寺にお参りしました。こちらは、武蔵野新四国八十八ヵ所霊場第58番札所、関東八十八ヵ所霊場第73番札所、高麗郡三十三ヵ所霊場第3番札所でもあります。
武蔵七党の丹党に属する加治氏の菩提寺の円照寺には、1333年の加治一族を供養する板碑が国の重要文化財に指定されているようです。
棟方志功、武者小路実篤などの有名な人の絵馬が、多数奉納されているそうで、絵馬の寺と呼ばれているようです。

こちらが本堂でしょうか。御本尊は、行基菩薩の作とされる阿弥陀三尊で、本堂内には、如意輪観音も安置されているようです。

こちらは、1779年に再建されたといわれる不動堂です。一重、寄棟造り、銅板葺、向拝付きで、市指定建造物のようです。

鐘楼ですかね。

境内の中央には、弘法大師が加持した池があり、七不思議の池と言われるようです。左に見えるのが、中島に祀られた弁財天でしょうか。武蔵野七福神の一つです。

御朱印を頂きました。それから、欲しかった武蔵野三十三観音のガイドブックも。うれしいです。

元加治駅まで歩いて、仏子駅に着いてから約2時間という感じでした。
西武池袋線に乗り、飯能駅で下車して歩き、第23番札所の浄心寺にお参りしました。こちらは、奥多摩新四国八十八ヵ所霊場第10番札所、高麗郡三十三ヵ所霊場第9番札所でもあります。
1492~1504年の創建と伝えられ、1607年に能仁寺五世吉州伊豚和尚が中興開山となって再興されたようです。

こちらは本堂。御本尊として、阿弥陀三尊が安置されているようです。

こちらは、瑠璃殿と鐘楼ですかね。

石段を登った右が毘沙門堂。そういえば、浄心寺の近くのバス停が、毘沙門天でしたね。
六世梁観禅棟和尚が駒込吉祥寺に遊学し、学業成就を毘沙門天に祈願し、主席になったので、報恩のためにお堂を建立して祀られたそうです。武蔵野七福神のひとつです。

石段奥の山道を進むと、奥の院三社権現宮です。稲荷社と、お犬様こと三峰社が移建し、天神社を遷座し、奉祀されているようです。

石段を登った左が、1986年に再建された入母屋造の観音堂です。二十四の腕を持つ千手観音像が安置されているようですが、十一面観音として祀られているようです。

御朱印を頂きました。この辺りは、日が暮れるのが早いから気を付けて、と声をかけて頂き、お煎餅も一緒に頂きました。ありがとうございます。

最後は、納経所で頂いた地図に従い、近道を歩いて第24番札所の観音寺にお参りしました。こちらは、奥多摩新四国八十八ヵ所霊場第64番札所、高麗郡三十三ヵ所霊場第10番札所になります。
810年に創建、1735年に入寂した長誉が中興開山されたようで、徳川家康から3石の朱印地が与えられ、将軍が交代のたびに支給された朱印状が残されているようです。
本堂は、幕末の戊辰戦争(飯能戦争)により焼失し、1883年に再建されたようです。御本尊の如意輪観音が祀られているようです。

こちらは、不動堂でしょうか。寿老人が安置されていて、武蔵野七福神のひとつです。

こちらは、飯能鬼子母神が祀られているようです。

なぜか白象が。本堂の外陣には、1774年に奉納された白馬の像が天井から吊るされているようですよ。

御朱印を頂きました。散華もお願いすると、渡すなと言われているんだけど、と言いながらも頂けました。ありがとうございます。

これで予定したお参りを終了。飯能駅まで歩き、西武池袋線に乗って帰路に。
Filed under: 武蔵野三十三観音霊場 | No Comments »
トラックバック
URL :